今年も猛暑の日本列島、皆様いかがお過ごしでしょうか。
愛犬が虹の橋を渡ったことをご報告してから、だいぶ時間がたってしまいました。
その節は励ましのお言葉を頂戴し、誠にありがとうございました。
一か月ほどは、その存在がこちらにいなくなったことの違和感に苛まれましたが、四十九日も過ぎて生活も気持ちも落ち着いてまいりました。
私の実家の父が世話が難しくなり引き取ったのが、わんこが11歳のとき。もう立派な老犬でした。
わが家には何回か来たことがあったのですが、完全に引き取った際に、車の中のケージの中でずっと立ちっぱなしで後ろをじっと見ていた巣がtが忘れられません。きっと何かを察していたのでしょう。
彼はきょうだい犬が死産した中の唯一の生き残りで、母犬も産後の肥立ちが悪くまもなく亡くなってしまいました。そのため、本来なら母犬やきょうだい犬と過ごしているはずの時期に私の父に引き取られ、父が犬用のミルクを与えて育てました。
父は一人暮らしだったので、一対一の関係。戦中の生まれですから、私からみたらペットの扱いは雑に感じました。父なりにたっぷり愛情を注ぎつつも、どこか命令ばかりのような。
そんなわんこがいきなり群れ(夫、娘、息子、そして私)の中に参入してどう感じていたのか分かりませんが、実家では限られたスペースで生活していたのが、あちこちお気に入りの場所で眠ったり後追いしたり、群れのリーダーのように自由に振舞っていて、それはそれで幸せな余生だったのかもしれないと人間目線からは思っております。
一緒に過ごせたのはわずか1年10か月だけでしたが。――それでも家族になっていました。
私の実家から引き取った負い目もあって(生活ペースの変化や金銭的なこと)、わんこが嫌がることは、なるべく私が引き受け、家族にはただただ可愛がってもらいました。
特に主人は愛されていたようで、朝晩の散歩は主人と行くんだと彼の中で刷り込まれていたようで、たまに私が連れ出すと、玄関から離れず、じっとドアを見つめて動かない、仕方ないのでだっこして散歩コースに連れて行っても家の前に戻って来てしまうなんてことありましたがありました。
夜は娘の部屋で眠ることが多く、早朝にトイレに行きたくなってそわそわするとリビングに降ろされる(娘の部屋にもトイレはありましたが)、そして朝散歩へという毎日。
動物と触れ合うことが苦手だった息子にも最後の半年は懐き、息子もわんこの扱い方を覚え、だっこしたり、トイレシートを変えたり、終末期にはトイレに間に合わなくて汚れたクッションとわんこを洗ってドライヤーをかけていました。変われば変わるものです。もともと可愛いものが好きな子でしたが、最初は生き物をどう扱ってよいか分からずに距離を置いていたみたいです。最後の数カ月間はいっしょに寝たり、わんこの方から膝に乗りに行ったりしていましたね。
わずか1年10か月の間でしたが、わが家にとって、彼はまぎれもなく「家族」でした。
私は唸られることもおおかった憎まれ役だったのだけど、家族を失って心が傷ついているんだなということに気づき、ある時間のおかげで癒される過程を経ました。
拙サイトも1年間のレンタル料を支払い、まだつづけるつもりでおります。また、せっかくですから、何かこれまでの拙作、リクエストもありましたし紙媒体でお届けできたらなとも考えております。
今後共引き続き、応援していただけたら幸甚に存じます。
猛暑の中、皆様、自分ファーストでどうぞお身体お気をつけて下さいませ。
つぼつぼ拝
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