先日、パリの共和国広場周辺で推計120万人、フランス全土で370万人が参加したといわれるデモがありました。
テロに対する抗議デモです。
風刺画で有名な新聞社と警官襲撃に、ユダヤ系食料品店を襲った同時発生テロは、結果として17名の犠牲者と実行犯3名の命を奪って終結しました。
その直後、SNSで出回ったのが「JeSuisCharlie(私はシャルリー)」というキャッチフレーズで、それは瞬く間に拡散して世界に広がりました。
デモでは、イギリスのキャメロン首相ほか、ドイツのメルケル首相、そしてイスラエルとパレスチナの元首も腕を組んで歩いたとのことで。
政治家は思惑なくして動かない存在なので、単純に抗議ゆえに参加したのではないと思いますが、宗教や理念・信条を越えてテロに対して結束できたのはよいことなのか、そうなのかなと思いつつ、ただただ今思うことは、市井の一般的イスラム教徒の方々に差別や批判の目が向かないようにということと、これ以上報復を報復で重ねる悲劇が起きないようにということ。
襲撃された「シャルリー・エブド」誌のムハンマド風刺画は、無宗教の自分からしても、偶像崇拝を禁じているイスラム教ですから、ムハンマドが人型として表現される時点でアウトなんじゃないかなというレベル。それからもっと反感を買うことを描いているわけで、信者としては不快に思った方が多数いたのでは。
そういう意味では、私は「Je …」と単純に掲げられないのですよね。
たとえば、イギリスでは、「アナと雪の女王」のTシャツに不買運動がおこったんです、去年。
理由は、プリントされた雪の結晶を産みだす手つきをしたエルサの中指が立っているように見えて、下品だ、子供に買い与えられないってことだそうで。
ディズニー側は単なる表現と反論したそうですが、そんな風に、見る人が不快に思ったら、抗議行動が起こるのは当たり前な西欧社会なのに。
もちろん、前提として、自分と異なる意見の人を暴力で黙らせることは言語道断ですから、絶対に今回の行為は、許せいないことだと思っています。
崇高な理念にもとづいたフランス革命がその後、恐怖政治につながってしまったこと、それらから学んでいますよね、フランス。
何が真に憎むべき倒さねばない相手なのか、それを見極めることが出来ることこそ、啓蒙主義が唱えた理性の社会の実現なのだと、そんな風に思います。
人間は感情の動物なので、なかなかコントロールできないところにドラマは生まれるのですが。
結局、はっきりとした結論がなくて、すみません。
でも、はっきりすっきり分かりやすいことほど、一度は疑ってみた方がいいと思うのですよ。