チョコパイが、フランス詰め合わせになっていました。
箱で工作すると、ベルサイユの庭園と思われる場所に貴族の紳士淑女が立ち現れます。
遠くには、モン・サン・ミシェルと凱旋門とエッフェル塔が。
切り方の雑さはご容赦下さい。
色がついている貴婦人には、「マリー・アントワネット」という記載が。
そうすると、相手はF伯でしょうか。
それとも、アルトワ伯?
いえいえ、ルイ16世陛下やも。
NHK総合『アナザーストーリーズ「“ベルサイユのばら”オスカルになりたかった私たち」』見ました。
だいたい知っていることでしたが、オスカルの性格のモデルがカシアス・クレイ(モハメド・アリ)の良心的兵役拒否から来ているのは、初めて知りました。
池田先生、後付け設定が多いともお聞きしますが……(笑)1950年代から60年代のアフリカ系アメリカ人公民権運動といえば、キング牧師も思い浮かびますが、それに加え、私はこの人を思い出します。
ピーター・ノーマン。
彼はオーストラリア出身の陸上選手で、1968年に開催されたメキシコシティオリンピックにおいて、男子200mで銀メダルを獲得します。
金と銅に輝いた、アフリカ系アメリカ人選手であるトミー・スミスとジョン・カーロスが表彰台上ブラックパワー・サリュート(黒い手袋を嵌めて拳を高く挙げる仕草。世界に向けて人種差別抗議を訴える天に拳を突き上げるポーズ)を行いました。
この時、ノーマンはブラックパワー・サリュートは行わなかったものの、人権を求めるオリンピック・プロジェクト」(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)のバッジを着けて表彰台に上りました。
ノーマン氏は白人でした。
彼はトミーとジョンの決意を聞き、「自分にできることはないか」と尋ね、そのような行動で自らの意志を表明したそうです。
彼はオーストラリアのトップスプリンターでしたが、この表彰台で信念を貫いたことにより、自国オーストラリアで避難を浴び、事実上選手生命を絶たれました。
後年、カリフォルニア サンノゼ州立大学にトミー・スミスとジョン・カーロスの銅像が建てられた時、ノーマン氏はこう言ったそうです。
「自身の像は作らずに空けておいてほしい」
なぜならば、
「2位の場所に立った時、自分だったら何をすべきなのか?湧き上がる自身の思いと向きあって欲しい」という理由から。あの時、あの場所に自分がいたら、どうしたか、自分の心に聞いてと。
また、「誰でもがピーター・ノーマンになれるのだから」とも言っていたそうです。
ノーマン氏の名誉が祖国で回復される事なく、彼は2006年に他界されました…。
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10年ほど前から更年期障害っぽいかなぁと感じ始めて、疲れやすさや本が読めない、せっかくイギリスに行ったのに、英語が習得できないなど辛い数年を過ごして来ましたが、それもあと2年ほどで終わりそうです。
その集大成で、昨年12月頃からちょっとしたことで泣いたり、いつもより体が怠くて動かなくなっておりました。
この6月に至っては、習いごとをキャンセル、友達の誘いも全てお断りで。
でも、どん底から這い上がったら、あとは上がるだけ。
また二次創作や発信で『ベルサイユのばら』やファンの皆様と楽しく過ごして参りたいです。
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つぼつぼ 拝