先日、あさぎり夕先生の訃報を目にしました。
私は「りぼん」よりも「なかよし」派で(きっかけは「キャンディ・キャンディ」)、あさぎり先生の作品も大好きでした。
「あいつがHERO!」も好きだったけれど、それ以前の短・中編が好きで、どの作品も感動して泣いたのを覚えています。
絵は骨格や筋肉がしっかりしていて、特に男性キャラクターがバラエディに富んで魅力的で、ストーリーテラーでもいらっしゃいました。
今年はさくらももこ先生もご逝去されていますね。
子供時代から青年時代くらいまで、作品を楽しみにしていた作家さんが次々に鬼籍に入られるのは、実に寂しいです。
また、自分の人生もいつか終わりが来るのだと、しみじみと思ってしまいました。
来年3月で、ジオシティーズが完全閉鎖するとのことで、今の場所から引っ越さなければなりません。
そのことを知った当初は「これは潮時かな…」とも一時思ったのですが、やはりここは自分にとって残しておきたい場所だと思い直しました。もう少しつづけさせていただこうと思います。
本日で、当サイトは12周年を迎えることができました!
これも、遊びに来て下さる方がいらっしゃるからだと感謝しています。
平成も来年4月には終わりますが、当サイトは13年目も更新しつづけたいと思います。相変わらずの亀更新になるかと思いますが。
これからも、どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
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こんな記事を見つけました。
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マリー・アントワネットの宝飾品が競売へ スイス
(AFP=時事 6/15(金) 15:38配信 )
この記事に出て来る、ブルボン=パルマ家。
ブルボンは、もちろんフランスのブルボン家に起源がありそうですし、そしてパルマといえば、ハプスブルグ家とも関連がありそうで、少し調べてみました。
ブルボン=パルマ家(Bourbon-Parma)は、ブルボン家の現在まで続く分家の一つで、かつて存在したパルマ公国を統治した家系。
この一門は本家であるフランス・ブルボン家を始め、スペイン・両シチリア王国の各ブルボン家、ハプスブルク=ロートリンゲン家と複雑な婚姻関係を結んでいます。
現在のルクセンブルク大公家は、男系ではブルボン=パルマ家の分家の一つに当たるそうです。
おそらく、マリー・アントワネットの装飾品を競売にかけることを決めたであろう現当主は、カルロス・ハビエル・デ・ボルボン=パルマ(Carlos Javier de Borbon-Parma)。
カルリスタの主流派が推すスペイン王位継承者でもあり、さらにオランダ王室の一員でもあります。
”ボルボン”は、パルマが北部イタリアにかつて存在していたためのイタリア語読み。
カルリスタ派については、後述いたします。
彼は、パルマ公およびカルリスタ王位請求者のカルロス・ウゴと、その妻のオランダ王女イレーネの間に長男(第1子)として生まれました。
そのため、名目上のパルマおよびピアチェンツァ公(2010年 -)であり、スペインのカルリスタ王位請求者(2010年 - )でもあります。
パルマ公国は事実上、現在のイタリアの一部になっているのですが、この”名目上”というのが、何ともいえませんね。
ヨーロッパの伝統と王侯貴族の婚姻関係の複雑さは、今日まで独特のステータスを保持しているようで。
両親の離婚後は母方の祖母であるオランダ女王の宮殿で育ち、現オランダ女王ベアトリクスの甥であるため、広義のオランダ王室の成員と見なされていて、式典などにしばしば出席しているそうです。
彼はウェズリアン大学で政治学、ケンブリッジ大学で人口統計学および哲学を学び、ABNアムロ銀行に入社してアムステルダム本店に勤務し、ユーロ通貨導入の準備事業に携わった後、欧州公共政策顧問会社(EPPA)所属の公共政策コンサルタントとしてブリュッセルで勤務しているそうです。
血筋だけでなく、現在のユーロ圏内で重要な役割を果たしているんですね。
血筋による欧州人脈もあるでしょうが、ご本人優秀なのでしょう、多分。
そんな彼が、今になって、代々受け継がれて来たコレクションの一部をなぜ競売にと思いますが、アントワネットさまの遺品、あまりお気に召していなかったのか、何かお金が必要だったのか。
落札者も含め、ミステリーが書けそうですが、自分は邪推するしかないので、この辺りで今はやめておきます^^;
私などが買える値段ではなく、ただ指をくわえて見ているだけの存在ですが、できればその宝飾品を大切に保管して愛でてくれる方が落札してくれたらと思います(^^)
カルリスタ派とは。
絶対王政、教会、地方特権などの封建的社会制度を擁護し、経済構造でも反工業化を唱え、イサベル2世(在位:1833年 - 1868年)を戴き、自由主義的、市民革命的、中央集権的な立場に立つマドリード政府と数度の内戦を戦った。その戦争は王位継承戦争という意味合いだけではなく、スペインの体制を左右する意味を帯びていたが、マドリード派の勝利後も、現在まで脈々と王として頂く血筋を支持しつづけている。
18世紀以来近代化が進められて現代に至っているといわれますが、根強く近代化を好ましく思わず自分の主張を堅持している集団がおられるんですね。
個人的には、面白いです。
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